昨日、病診連携懇話会が開催され出席いたしました。病診連携懇話会は名張市立病院と名賀医師会と合同で開催されます。 名張市立病院からは伊藤院長をはじめ、ベテランの先生方から研修医の先生方、さらにはポリクリ実習中の三重大学生さんも複数名参加しておられ、とても活気あふれる様子でした。 名張市立病院の先生方、本当にありがとうございました。 |
先日、伊賀地区学校保健研修会が開催されました。講演(1)は「難聴の子どもへの理解と支援」で講師は国立病院機構三重病院耳鼻咽喉科医長増田佐和子先生でした。増田佐和子先生は日本耳鼻咽喉科学会認定専門医、日本アレルギー学会認定専門医・指導医、日本耳鼻咽喉科学会認定補聴器相談医、臨床専門医などの資格をお持ちです 増田佐和子先生によりますと、聞こえにくいことは周りの人からは目に見えにくい、気づかれにくいことであるということです。聞こえの程度や種類、生活環境によって困り方が違うので、他の人にはわかりにくいからということでした。また聞こえにくいことによりコミュニケーションに支障をきたすために、人との距離を大きくしてしまうそうです。聞こえにくいことは、いつ、誰に起こるかわからないことで、想像しているよりも数が多いそうです。身体障害者手帳を持っている高度以上の難聴者だけでも36万人以上で、生まれつき聞こえにくい子どもは1000人に1~2人であり、とても身近であるということでした。 増田佐和子先生によりますと、聞こえの仕組みは音を増幅して伝える伝音機構と音を感じ取り脳へ伝える感音機能からなり、それぞれの障害による難聴を伝音難聴、感音難聴と言うそうです。難聴の程度は、一対一の会話はほとんど問題ないが、小声や早口が聴き取りにくい軽度難聴(30~40dB)、会話の音はある程度聞こえるが、言葉として聴き取れない中等度難聴(40~70dB)、会話音がほとんど聞こえない高度難聴(70~90dB)、まわりの音(環境音)もほとんど聞こえない重度難聴(90 dB~)まで分類されるそうです。両耳70dB以上で身体障害者手帳の対象となるそうです。 子どもの難聴の頻度は、赤ちゃんが1000人生まれたら、その中の1人か2人は難聴児であるということから、三重県でも年間17~30人くらいの難聴の赤ちゃんが生まれており、さらに何らかの原因で後から難聴になる子どももいるということです。4歳くらいの子どもでは難聴の原因は約半数が遺伝性で、遺伝性以外では先天性風疹症候群、低出生体重児、重症黄疸、髄膜炎、先天性サイトメガロウイルス感染症、先天性トキソプラズマ症などが挙げられるということです。なぜ子どもの難聴に早期支援が必要かというと、乳幼児期に難聴があると、音声言語の入力が制限されて言葉の遅れが生じるからで、難聴がある子どもでも適切な時期に適切な方法で教育がなされれば言葉を獲得でき、難聴児への早期からの医療や教育が可能になっているからだそうです。脳でのネットワーク形成には早期刺激が不可欠だそうで、1歳以降使われなかったシナプスの「刈り込み」が生じるそうで、聴覚野も早い時期に刺激が入らないと衰退してしまうそうです。言葉を身につけるには中枢、入力、エネルギー、環境、出力などの全てが適切な時期に繰り返し継続して存在することが必要であるそうです。増田佐和子先生によりますと「適切な時期」とは脳が言葉の音の響きを聞き分け始める生後6ヶ月頃から8歳くらいまでではということでした。8~9歳以上から始める外国語学習と同じように、生まれつきの高度難聴の子どもが言葉の刺激を受けられないと同じことが起こるということでした。子どもの難聴の発見・診断プロセスは、従来は聞こえにくそうとか言葉が遅いということを誰かが疑い、検診・保健所・医療機関に連絡、耳鼻咽喉科で診断、療育指導というプロセスでしたが発見の遅れが見られることから、新生児聴覚スクリーニング(1-3-6ルール)として生後1ヶ月までに聴覚スクリーニング、生後3ヶ月までに精密検査・診断、生後6ヶ月までに療育指導開始というように変わったということでした。スクリーニングからの精密検査結果では4人に1人が両側難聴、4人に1人が一側難聴、半数は両側正常であったそうです。しかしながら3歳児検診を過ぎて発見される子どもも散見され、さまざまな機関の関わりが不可欠であるということでした。 難聴の子どもへの支援は情報保証、聴覚補償、関係性の保証などに分類されるそうです。聴覚補償機器として補聴器と人工内耳があるそうです。それぞれに利点、欠点もあるそうですが、周囲の理解として大事なのは機器をつければ全部聞こえるということではなく、機器をつければ聞こえにくさが軽くなる程度であるということを理解してあげる必要性があるということでした。難聴児にとって聞き分けやすい場面と聞き分けにくい場面があり、静かな場所で1対1の会話で日常的な内容であれば会話が理解できるが少し離れただけで聞こえなくなったり、口の動きが見えないと理解しにくかったり、初めて聞く言葉は理解しにくかったり、相手が複数であったり、騒音が大きかったり、不安になったりすると聞こえにくくなるということでした。増田佐和子先生は40dB感音難聴の聞こえ方疑似体験の音声を聞かせて下さいましたが、とても聴き取りにくくて一生懸命集中して聞いていると確かに疲れてしまいます。集中力が切れて聞いていられないということもよく理解できました。大人から見て聞こえている、わかっていると見えても、聞き違えているかもしれないし、わからなくて困っているかもしれないということでした。軽度難聴があり会話音の一部が聞こえない子どもに周りの人が気づかないために、子どもが小さな躓きをしやすくなり、不安になり意欲が低下し、消極的になるという悪循環に陥りがちであるということでした。逆に周りの人が理解して支援することにより、小さな成功体験をしやすくなり、子どもは満足し意欲がわき、積極的になるという好循環なるということです。配慮すべきこととして、まず話し方の工夫では、少し大きめの声で、少しゆっくり、はっきり話す、口元を見せ表情豊かに話す、区切るときは分節で流れを考えて区切るなどの工夫が重要であるそうです。その他の配慮すべきこととして、教室内での座席の位置、授業の工夫、学級会などでの配慮、校内放送の聴き取り、英語の聞き取りなどで必要な配慮を説明して下さいました。教育の場での聴覚補償で、集団の中での聞き取りをどうやって確保するかですが、デジタルワイヤレス補聴支援システムというのもあるそうです。 増田佐和子先生によりますと、聞こえにくさがわかりにくい難聴もあるそうで、聞こえにくさも一人一人様々であるということです。高い周波数の音が聞こえない場合、低い周波数の音が聞こえない場合、軽度感音難聴の場合、片耳が聞こえない場合などです。聞こえているように見えても聞こえにくい難聴のある子どもたちへの理解と支援が必要であるということでした。 後天性の難聴の原因として急性中耳炎、滲出性中耳炎、ムンプス難聴(おたふくかぜによる難聴)などがあるそうです。ムンプス難聴は流行性耳下腺炎(おたふくかぜ、ムンプス)ウイルスが原因で、感染100人~500人に1人程度、80~90%が一側性、10~20%は両側性であるそうです。増田佐和子先生によりますと流行は繰り返されているそうで、難聴は治らないので一番の対策はワクチンによる予防であるそうです。ワクチンによる抗体陽転率は90~95%で任意接種であるために接種率は20~30%程度であるということでした。 増田佐和子先生によりますと先天性難聴の原因である先天性サイトメガロウイルス感染症や先天性トキソプラズマ症などは妊娠中の母子感染であるそうです。先天性トキソプラズマ症&サイトメガロウイルス感染症患者会「トーチの会」という会があるそうです。サイトメガロウイルスは世界中のいたるところにあるありふれたウイルスであるそうです。子どもも大人も健康であれば感染しても全く問題ないが、妊婦が初めて感染した場合や妊婦の免疫力がひどく低下した時は胎児への感染が危ぶまれるそうです。感染しても症状が出ない場合もある一方、出生時に問題なくても成長するにつれて症状が出る場合があり、特に問題なものは進行性の難聴であるということでした。妊婦が上の子どもの食べ残しの整理など食べ物を共有して感染することも多いらしく、要注意ですね。トキソプラズマは家畜の肉や感染したばかりのネコの糞や土の中にいるありきたりの原虫であるということです。感染しても健康な人には全く問題ないが、妊婦が初めて感染した場合には胎児に感染が及ぶことがあるので注意を要するということでした。感染しても何も症状が出ないこともあり、出生時に問題なくても成長するにつれて症状が出る場合もあるということでした。特に問題なものは網脈絡膜炎による視力障害であるそうです。これらは防ぐことの可能な感染症なので、妊婦へのさらなる啓発が大事ですね! 今回の講演は私の知らないことばかりで、大変勉強になりました。難聴の子どもたちの治療に真摯に取り組んでおられる、増田佐和子先生の姿勢に感心いたしました。 |
7月16日、17日と2日間にわたって東京におきまして第30回日本臨床整形外科学会が開催され、出席いたしました。2日間とも色々な興味ある講演や演題を聴講し、とても参考になることも多かったです。 今後の診療に活かしていきたいと思いました。 |
先日、名賀医師会臨床懇話会が開催されました。演題は「今も身近にある結核~基本事項の確認とその対応~」で講師は名張市立病院感染症科医長今井雄一郎先生でした。今井雄一郎先生は小児科専門医ですが、感染症科も専門とされ、小児科、感染症内科の両方の診療に当たっておられるようです。 今井雄一郎先生によりますと、結核は明治時代から昭和20年代までは「亡国病」と恐れられていた疾患でした。しかしながら今日では生活水準の向上に加え、医療の進歩により治療可能となり、その当時よりは大幅に死亡者数も減少しました。このため結核は過去の病気というイメージもあります。しかし、現在でも日本では年間18000人が新たに結核発症しており、2000人が亡くなっているそうです。世界で見れば、毎年150万人が結核で亡くなっているそうです。また日本全国で集団感染も多発しており、結核は紛れもなく現代の病気であるということです。かつては、結核は青年の病気であったそうです。正岡子規、石川啄木、滝廉太郎、樋口一葉らの明治時代の文豪も、みんな若くして結核で亡くなっているそうです。最近でもタレントのハリセンボン箕輪はるかさんとテレビスタッフ2名が結核に感染したことや、2016年には警視庁渋谷署の19人が結核集団感染を起こした事例、そして数々の老人福祉施設などにおける結核集団感染事例が報告されています。これを聞くと決して過去の病気とは言えないですね。9月24日から9月30日までは結核予防週間とされ、ポスターなどによる啓発も行われているそうです。 結核は結核菌による慢性感染症であり、約8割は肺結核であるそうです。しかしながら肺以外の臓器が冒されることもあり、全身全ての臓器が結核を発症し得るそうで、肺外結核と呼ぶそうです。非結核性抗酸菌が人から人へと感染しないのに対して、結核は人から人へと感染するのが特徴であるそうです。結核菌はドイツ人のロベルト・コッホが発見したそうで、結核菌の大きさはおよそ1~4μm、分裂は15~24時間に1回で、細菌の60分の1であるそうです。結核は感染しても、必ずしも発病するわけではないそうです。このあたりは理解の難しいところですね。発病は感染した後で結核菌が増殖し、症状が進むと結核菌を咳や痰とともに排出する(排菌)ようになるそうです。結核は麻疹、水痘などとともに、咳やくしゃみの時の飛沫(しぶき)に含まれる菌が空気中に飛び散り、それを他の人が吸い込むことにより感染を起こす(空気感染)感染症です。 世界的に見れば、都市への人口集中などにより結核の爆発的流行なども起こっているそうです。世界における結核の2大問題点はHIVと結核の二重感染と薬剤耐性結核であるそうです。1970年代まで減少していた結核患者数は1980年代が増加に転じ、1993年にWHOが全世界における結核非常事態宣言を発表しました。南アフリカのスワジランドという国では成人の26%がHIV陽性で、結核罹患率も非常に高く二重感染も多くて、同国の平均寿命がこの20年で60歳から31歳へと半減してしまったそうです。日本の結核罹患率は欧米先進国に比べるとまだまだ高く、世界の中では日本は依然として「中蔓延国」であるそうです。日本では地域差があり、大都市に多く、西高東低の傾向があるそうです。 結核の治療は多剤併用療法ですが、治療期間は6ヶ月から9ヶ月くらいかかるそうで、何よりも内服をきちんと継続することが重要であるそうです。治療が完遂されずに途中でやめてしまうと耐性結核菌の出現を招いてしまうそうです。レボフロキサシン投与により、結核の診断治療を遅らせてしまう場合もあるそうで、診断がついてないうちから安易なレボフロキサシン投与は避けるべきであるということでした。 初期症状はカゼのような症状で、2週間以上咳、痰、微熱が続くこと、意図しない体重減少、寝汗などがあれば、診療の場において結核を念頭に置くことが重要であるということでした。今井雄一郎先生によりますと、結核は肺外結核も含めてどの診療科を受診される場合もあり得るので、注意を要するということでした。 結核は過去の病気ではなく現代の病気であるという認識をまず持つことが重要ですね。 |
平成29年2月10日に「第5回日本医師会赤ひげ大賞」表彰式が開かれたそうです。 今回の受賞者は都市部で活躍されている医師から離島などの僻地で活躍されている医師など、活躍の場は様々です。 薩摩川内市下甑手打診療所前所長瀬戸上健二郎先生は38年間離島・僻地医療に従事しておられるそうです。人気漫画・ドラマ「Dr.コトー診療所」の実在のモデルでもあるそうです。 活躍の場は様々でも、表象された5名の先生方の患者様に対する真摯な姿勢は変わらないですね。 |