先日、卒後初めて学年全体の中学校同窓会が難波OCATのビアレストランで開催されて出席しました。 私が大阪市立阪南中学校を卒業したのが1978年ですから、33年前ということになります。ほとんどの方が卒後初めてお会いしたので、なかなか思い出せなくて苦労しました。でも一旦思い出すと、面影そのままという方が多かったです。学年12クラスありましたので、小中同じでも全く接点のなかった方も多くおられます。 恩師の先生方も数名参加しておられました。既に退職され人生の次のステージを充実されておられる先生方と、現役で最も経験を要する要職についておられる先生方がおられ、さすがだなと感心致しました。 中学1年の担任の国語科O先生にご挨拶をすることができました。中学に入学したときの初めての担任の先生だったので、とても良く覚えています。O先生は相変わらずお元気そうで何よりでした。O先生の影響で、当時は学校の先生になってみたいものだと思ったことを懐かしく思い出しました。
会場で野球部のO君が私に話しかけてきてくれました。O君は小学校からの同級生ですが、会ったのはやはり卒業以来初めてです。
O君「アッキン、実はずっと謝ろうと思っていたことがあるねん。」(アッキンは小中学校時代の私のニックネームです。) 私「え!何?」 O君「実はな…」 (2) その年は優勝した。 (3) にもかかわらず、担任のW先生に私たちは叱られた。 (4) その理由は、私たちが直前に先生に内緒で勝手に走る順番を変更したからだった。 (5) 順番の変更はO君の発案で、O君がアンカーになった。(事前に聖天坂公園にメンバーが集まって練習までしたらしい。) (6) O君は当時、アンカーというポジションの大事さを知らなかったが、たまたまアンカーを選んだ。
O君「済まんな~、そのときはホンマに知らんかってん。アンカーが重要やって。」 私「オカコ、悪いけど、そんなん全く覚えてへんわ~。」
あ!…もひとつ忘れていました。 O君はその時に「このことは誰にも内緒やで。」って言っていました。 |