先日、奈良県におきまして第27回奈良県スポーツ医・科学研究会~奈良トレーニングセミナー~が開催され出席しました。本会は公益財団法人奈良県体育協会主催、奈良県医師会スポーツ医学部会共催で行われ、多くのスポーツ指導者、トレーナー、医師が参加しました。 特別講演1は「テニス選手の現状と理想」演者は元日本代表プロテニス選手、中村藍子氏で特別講演2は「スポーツメディカルサポート:大会サポートと障害の予防のためにすべきこと」演者は大阪大学大学院医学系研究科健康スポーツ科学(スポーツ医学)教授中田研先生でした。 中村藍子氏は日本を代表するプロテニス選手として活躍しましたが、カナダでの公式戦試合中に膝前十字靱帯損傷を受傷し、その後にプロツアー復帰を果たしましたが2012年に現役を引退したそうです。今回、トップアスリートとして活躍し怪我から復帰したという経験を語って下さいました。 私はテニスのことはほとんど知りませんでしたが、プロテニスツアーの仕組みはグランドスラムを頂点とする様々なレベルの試合があり、ランキングにより参加する試合のレベルが決まるということでした。ランキングを決めるのはポイントシステムによるのだそうですが、このポイントは1年間有効だそうです。これには負傷離脱期間が大きく関わってきそうですね。ランキングを落とさないために、リハビリの期間が左右されそうです。プロテニスツアーのシーズンは12月末から11月中旬までで、オフシーズンは約1ヶ月半だそうです。これは他のスポーツに比べても非常にオフシーズンが短いと思われます。プロテニス選手は遠征のマネージメント、コーチを雇うこと、様々な環境に慣れることなど、自らやらねばならないことが多く、とても厳しい環境に置かれています。またトーナメントは毎週のように行われ、月曜日に始まり日曜日に終わるそうです。そこで体力的にもメンタル的にも切り替えの早さが求められるようです。 中村藍子選手は2002年から本格的にツアーに出場し、2005年全豪オープンで4大大会デビュー、自己最高ランキングはシングルス世界47位、シングルス日本2位と日本のトッププレーヤーとして活躍されました。ところが2009年8月に膝前十字靱帯断裂を受傷され1ヶ月弱で手術を受け、2010年4月に1度目の復帰、2010年7月に2度目の手術を受け、2010年10月に本格復帰と14ヶ月間かけて復帰したという経験をお持ちです。その時の主治医が本セミナーのもう一人の演者である中田研先生でした。 怪我したときの状況は、アメリカ遠征の最終週で体も心も疲労があったそうですが、朝から体の調子が良く切れもあり、テニスの調子は良かったそうです。そして怪我をしたのは終盤であり、アップ不足が原因ではないということでした。この点は中田研先生が提唱するスポーツ外傷を起こさないようにするための予防という点で参考になることがありそうですね。 中村藍子選手はリハビリする際に地元関西でのリハビリか、施設の整った関東でのリハビリか迷ったことや、復帰に向けた体の問題点として急に膝が腫れることや思うように練習できない、1週間通して良い膝の状態でプレーできないこと、心の問題点として怪我をする前のイメージができないことに対して自分を責めてしまうこと、今まで簡単に出来ていたことが出来なくなり自身がなくなることなど様々な葛藤を紹介して下さいました。そして再手術を経て見事プロツアー復帰を果たした中村藍子選手は立派だと思いますし、その言葉にはとても重みがあります。 中村藍子選手はその後2012年12月に現役を引退されました。引退を決めた理由は体の面では1試合で長ければ3時間以上の試合、通常のツアーは1週間、グランドスラムでは2週間、毎日戦い続ける体が必要で、トップで戦うためのフィジカルが必要であること、メンタルでは体に不安を抱えているとメンタルが不安定になる、怪我をする前のイメージが強く、怪我後の自分との差に苛立ちを消すことができなかったことなどを挙げておられます。中村藍子選手は、「自分が目指すところを考えたとき、自分が怪我前に戦っていた場所、記録を抜くというのが目標である。それを考えたときに今の自分がその場所で戦えるかとイメージするとできなくなっていた。」と述べておられました。 現在テニス女子世界ランキング1位のアメリカのセレーナウィリアムズ選手をはじめ、世界のトッププレーヤーは身長も高く筋骨隆々としておりフィジカルの強さが際立っています。間近で見た中村藍子選手は、ごく普通の体格の優しそうな素敵な女性です。この体格で世界のトッププロ選手と渡り合っていたということに大きな感動を覚えました。 |